2016.12.06

出勤すると社長夫人がママさん友達を連れてきていた。「旦那さんにミャンマーに行こうって言われたら行く?」と聞かれて「行く!すぐにでも行ける。子供も連れて行く。」と即答していた。驚いた。何に驚いたのか。自分でもよくわからなかったんだが、とにかくすごい衝撃だった。

冷静に考えてみると、僕は長野と東京での暮らし以外を考えることが出来なかった。此の歳になるまで実家を出ずに育った弊害だろうか、世界の中心は東京で、僕の居場所は長野なんだと思い込んで居る。しかも長野は長野でも、松本ではいけない。長野市の、しかも安茂里でないといけなかった。この場所こそが自分の居場所なんだという、強い自負心のようなものがある。何を誇ろうというのか。

しかし、4 月から東京に行くんだが、これには納得している。だって日本の首都である。日本の文化=東京の文化と言って差し支えない。東京の暮らしは日本のハイエンドの暮らしのはずで、きっとキラキラの毎日のはずなのだ。長野の糞田舎では体験出来ないような都会の、しかも世界一と言っていいほどの都会の、生活だ。これを経験したい。そういうわけで、東京に行くことに関して、不安はあるが、不快では無かった。

それで、日本の中でも長野と東京しか考えられないのに、ましてや海外!そしてミャンマーという。僕の中で海外といったら、アメリカである。この世には長野と東京とアメリカしか無いと言う、我ながら酷い世界観である。こう考えていくと、特別彼女は特殊では無く、僕の世界観の方がやや特殊であると気づいてしまったので特に何を言うでも無くこの話は終わりにする。