2016.10.8

学会に行った。学会といっても地方の支部大会なのでしょっぱいこと限りなし。が、まあそれでも学会であることに変わりはないので、練習をしてちゃんと発表をした。

会場は長岡だった。せっかく県外に出たので研究室の仲間と長岡と新潟を泊まりで観光することにしていた。長岡に行くということが決まってからの僕は幕末の長岡藩家老河井継之助の話を書いた司馬遼太郎の峠を読み切るということを決めて、学会の準備をしながらこれを達成しなければならず少々忙しかった。

長岡につくと、米百俵まつりというのをやっていて、賑わっていた。街中に継之助が外国から買い入れたというガトリング砲の模型が置かれていたり引き回されていたり物騒なこと相違無かった。「ガトリングおでん」なるものも売られていていよいよわけがわからなかったが、継之助、愛されている。

長岡駅は当時長岡城があったところで、この城下町は城亡き後も鉄道が通り、自然と人が集まって、この街の人たちは自分の街の歴史人を自然と愛すことができたのだな、と思った。一方で、僕が住む長野という土地は善光寺門前町として発展した街で、江戸時代までの政治の歴史が無く、その1400年あると言われている門前町としての歴史も善光寺地震で焼失してしまい、自然この土地に住むひとたちは街の栄える歴史もこの土地で行われた政治もこれを行った名士についても知る機会が少ない。この土地のひとは歴史などなくとも、なんとなくこの田舎の、雰囲気がすきで生きているんだと思って、それもそれで良しとおもった。