2018.06.24

今期はシュタインズゲート・ゼロが放映されているが、前作のシュタインズゲートを見ていなかったので、昨日は引きこもって一気に見た。アニメは見ていなかったが、原作のゲームは7年前、大学の1年のときにプレイしていた。たしか、「アニメを放映するから予習しよう」というモチベーションで原作をプレイした覚えがある。予習後に放映されたアニメを見たらがっかり作画で見るのをやめてしまったのだ。

7年ぶりなのでストーリーはふわっとしか覚えてなかったが、改めてアニメを見て面白いなあと思った。アニメの放映時代は2011年だが、原作が2009年なので、「斜に構えた主人公が大きなテーマに巻き込まれて、仲間ができ、大事に思い始めて、その仲間と日常を守るために戦う」という2000年代に流行っていた設定が守られていた。こういう設定のアニメを久しぶりに見たなあ。有名所だと「涼宮ハルヒの憂鬱」とか「フルメタル・パニック!」、「化物語」なんかもこの類じゃないかな。

で、見終わった今期のシュタインズゲート・ゼロを見始めたのだけど、これが面白いんだなあ。「仲間を大事に」みたいな雰囲気は脱ぎ捨てて、独自の世界観をいかに見せるかという最近のアニメという感じがした。アマデウスが前作1話の小ネタを伏線にしている。小ネタがどういうものかというと、前作1話のOP開けで岡部倫太郎がシーマンをパロったゲームに対して登場人部を紹介するという説明乙パートのことで、アマデウスはまさにシーマンを高度に発展させたものだし、”ゼロ”の作中でもシーマンのパッケージがちらっと写り込んだりする。1話の始まりから発想が来ているのが感動的だ。中途半端なシーンでなくて冒頭の冒頭のシーンなわけで、もし前作の放映当時から”ゼロ”までの発想があったのだとしたらすごい。

夜は大学院の連中と飲みに行った。もっと頻度良く会いたいなあ。

今日はスパで作業と思ってスパには来たけど脱楽天カードするためにクレカについて調べたり引っ越すための不動産知識とかを調べていたらもう夕方だ。