2018.07.24

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これに行ってきた。始まって登壇された米代先生の御尊顔を拝見した瞬間「あ、カノンちゃんだ…」と思った。少し地味目でオタクっぽく喋る黒髪の女の人。ワンピースの柄のセンスもカノンちゃんが選びそうだった。

大童先生は映像研の作中の浅草氏と同じ帽子を被っていて『前髪が厚くて目が死んでいる』。少し高橋一生に似てるなと思った。喋り方なんかもシン・ゴジラのときの高橋一生っぽくて、「こういうタイプのオタクね」と思った。

全部の話が面白かったんだが、強烈に思ったことを書き記しておきたい。

『カノンはこういう子で初穂さんはこう。堺さんは…』という話を聞いていると「おれの人の見かたというものにも特徴があるようだ」と気付いた。特に、大童先生が「幼少期にどういう環境で育ったか・どういう教育を受けたかを聞くようにしていて、こういう結果になるのか…と観察する」と言っていて「おれはやらないやり方だ」と思った。そういえば、うちの会社の人事も『幼少期の環境と教育を聞く』と言っていたな。何なら、おれは頻繁に小さい頃どういう感じだったのか聞かれていることを思い出した。一定層いるやり方なのだ、これは。しかし、昨日この話を聞くまでそれに気付けなかった。

おれ自身はどうやって人を見ているかというと、まず幼少期の話など聞かない。おれは、おれの観察とおれとの会話の結果、「もっと喋りたい」「あんまり面白い人ではない」という感情に従う。おれがそう感じた理由と相手の過去とはあまり関係が無いからやらないのだと思う。そもそも自分の感情の理由が相手の過去にあるというのは、理由の場所として適切でない。だから過去の体験を聞くタイプの人は、相手の言動の理由を相手の過去の体験から探り、因果関係を明らかにした後に自身の感情を想起するんだろう。なるほど、冷静に考えてみたが、やはりおれはこういうことやらないなあ。しかし必要になる場面もあるのだろうし、こういう考え方に気づけたのは良かった。

漫画のキャラクタを題材に「人の見かた」について考察するというのはなかなかおれらしい。そもそも普段人のことをあまり考えていない。自分の感じた気持ちが何よりも優先されてしまって相手の考察が足りてないと思う。今回は人を見るということの面白さについて気付いたからこうして考察しているのだと思う。

もうひとつ、『カノン』はバッドエンドかハッピーエンドか。米代先生は『メリーバッドエンドがやりたかった』と言っていた。その通りだな、と思う。カノンはカノン目線ならハッピーエンドかも知れないし、カノンの親・友達目線ならバッドエンドかも知れない。

それは踏まえた上であえてどちらなのか。おれはハッピーエンドだと思う。カノンの最終回のその後は『ケーキ屋を捨てて堺先輩と出ていってしまう』らしい。これを聞いてなおさらハッピーエンドだと思った。

カノンは自分で感じたこと・考えたことを行動に移すことができる。誰にも邪魔されない。自分が躓くのは自分のせいなのだし、自分が幸せと思えるのも自分のおかげなのだ。そして、それは何よりもハッピーなことだと、おれは思いました。