2019.03.12

8年前、おれはまだ高校生で、志望校の前期試験に落ちていた。致し方なく地元の国立の後期試験を受ける、その前日が地震だった。地震の直接の影響を受けるには、長野という土地は隔てられすぎていたので、翌日の試験は普通に行われた。ただし、インターネットは違った。意識高い系と呼ばれる人たちが震災後から妙に目につくようになった。やれボランティアだの課外活動だのと社会的に正しそうな理由で何とはなく人に声をかけ、集まっては「なんかしようよ!」とだけ言うだけ言って自分では何もしない、そういう若い人がたくさんいた。

テレビの報道もひたすら暗かった。「これから日本はどうなってしまうのでしょう」というアナウンサーの言葉に「“どうなる”ではなく“どうするか”を考えなくてはならないのだ」と高校生の終わりにおれは思った。

大学に入るとインターネットにいると思っていた意識高い系の人間が実在していて驚かされた。彼らに嫌悪感を覚えたおれは、現実的で具体的な手段を身につけるのだと決意して、情報工学を学び始めた。

あれから8年経って、具体的な手段としての情報工学の知識と技術は自分の身を生かす唯一の方法になっている。“どうするか”を考えるのだ、と言いながら自分のことしか考えられないけど、主体的に考えるのが常になっている。考えて勉強して実装してを繰り返していたら、十代に感じていたどうしようもない劣等感とはいつのまにか決別できた。何者かにはなれなかったけど何かは作れる人にはなった。

意識高い系の人たちも同じ気持ちだったんだろうな。短絡的ではあるけど行動するだけ偉かったのかも知れない。