目が覚めたら3月だった。先日からの風邪は悪化して、とても会社に行って仕事ができるとは思えなかった。休む、と連絡しただけで少し体が軽くなる。やっぱりこの風邪はそういうやつか。
せっかく休みになったのでアニメを見た。色づく世界の明日からの最後の3話を見た。
女の子が儚くて色使いが優しくてポイミィで、こういうアニメ大好き
— ろにゃ (@roronya) 2019年3月1日
唯翔と瞳美の手繋ぎ解くシーン良かった。隣り合う時は小指を残して、対面する時は中指を残す。名残惜しさが良かった。
— ろにゃ (@roronya) 2019年3月1日
瞳美の原罪と赦しの話になっていて氷点を思い出さざるを得なかった。琥珀にとっては贖罪の話だなあ。琥珀の半生を思うとグッとくる。産んだ娘に対する態度もなんとなく想像できてしまうのも辛い。
— ろにゃ (@roronya) 2019年3月1日
色明日、瞳美の母を失わないよう過去を変えるという選択もあったと思うけど、琥珀は自分の事情を挟まずに瞳美を送り出したというのも考えちゃうな。標準時間軸というのがあってシュタゲ的な世界線という概念は無いのかな。時の間というのがそれかも。標準からずれたものはそこへ幽閉されてしまう。
— ろにゃ (@roronya) 2019年3月2日
話も良かったけど、何が良かったのかちゃんと言葉にして喋れる自分に少し感動した。脳みそがスパークした刹那の感情を、手繰り寄せて名前を付けるのが上手くなってきた気がする。毎日日記を付けている効果がやっと出てきただろうか。会社でやたらと言語化しろ、と矯正されているのが良いのだろうか。イベントで漫画家や作家の人たちがどういう心持ちでモノづくりをしているのか聞く機会が多かったのも良かった気がする。
書いているうちに脳みそが片付くという感覚も養われてきたように思う。
書くネタは脳みそから出るようになったのだし、今度は自分の文体なるものを確立したいなあと、神様のカルテの新刊発行にあたって作者が寄せた文章を読んで思った。