2016.11.13

見た目のだらしのない者への世間からの評判は酷であります。況や根っからのオタクをや。ですからここのところ服にお金を使っている。異なる着回しで一週間を過ごせるようになり、他人の見た目も気にし始め、己の好む見た目もファッションに於ける定石をも心得て、後輩に見た目が好ましいなどと言われると、まして服が欲しくなる。冬のコートはチェスターコートと P コートを持っていて、どちらもカッチリとした形でありますので、足元にはゆとりが欲しい。で、好きなバンドのボーカルが履いているスニーカーと同じものを買う。しかし明日は雨らしい。

文章読本 (中公文庫)

文章読本 (中公文庫)

毎日日記を付けてみると文章が書けないことに気付かされる。大学院生という身分のために論文を書くことがある。これは得意だ。しかし日記となると「今日は研究をした。楽しかった」。心がないのかと疑うが毎日お昼は何を食べようだとか10年後までにこうなっていたいだとか考えてはいるのだ。それで Google 先生にお尋ねすると上の本を進められた。

一日で読んで手始めに上のような文章を書いてみた。われわれの国語はお喋りを嫌いはっきりと申さないことを美徳とするということです。新しい靴を買ったが明日は雨で履けないつまらん、ということをはっきり申さず、最近の服への凝りようを喋りたてたのちに明日は雨とだけ言って、後は察せよという文章にする。するとつまらんというよりも悲しみであったり焦れったさであったり含みのある文章になる。らしい。「しかし明日は雨らしい。畜生め。」とやるより良いというのは言える。わからんが。

作家先生というのはかくもさまざまなことを思うのだなあと感心する。われわれの国語は主格もいらないし時制も適当で良いし、そもそもヨーロッパの国の言語のように曖昧性無く伝えられないし、古典を読むと当時のひとたちはこれを了解していて含蓄のある文章が多いと言う。調子の話がよかった。ひとそれぞれに調子というのがあって、これは天性に依るが、それでも大きく2つに分けられるようでありますので、読者の調子がどちらに分けられるのか見極めたら、それぞれの調子でお手本になる作家先生を上げるので、あとはそれを読んで勉強しなさいということだった。文章のみならず日本語や英語についてもどういうものか少しわかったような気がする。