2016.10.16

9 月の頭からつけはじめた日記をざっと読み返してみると「研究室に行った」「バイトをした」「アニメを見た」以外の話題が無い。全く無い。強いて言えば少しプログラミングの話を書いた気がする。が、とにかく、話題が無い。1 ヶ月と半分書いてみたけど話題が無い。書きたいことが無い……と言うわけでもないが積極的に書きたいことがあるかと言うとそうでもない。そもそも文章を練るずくが無い。もっと普段感じたことを書けば良いのだろうが、一日の終わりに日記を書くためコンピュータに向かいいざキーボードを叩いて見ると「アニメを見た。楽しかった」、これだ。普段の生活に特別何か感情が無いのかも知れないが、あるいは負の感情に支配されていて、これを吐露してしまうのは気が引けて書けないのかも知れない。

感情が無いと言えば、今日は以前少しだけ世話になった写友会の展覧会に行った。ざっと写真を眺め終えると、コーヒーでも飲んで行けと言う。そこで、写真はどうだった、と聞かれる。ここで正直に「先生の写真は上手い。他の会員のひとはべつに…普通ですね…」などと言ったら一巻の終わりである。金輪際口を利いてもらえないこと必至。「知に働けば角が立つ、情に棹させば流される」とは正にこういう状況がテンプレな気がする。とかく人の世は住みにくい。

もっとも、この状況を住みにくい世として捉えたのは、自身の感性の貧弱さが原因でもある。別段上手くもねえ写真に対してでも「へでもねえ」以外の何かしらの感情を起せば良いのにコレが出来ない。日記を付けようにも「3月のライオン、2話、晴信が主人公にうざ絡みのシーンの演出プランが完全に化物語シリーズのそれで、"3月"原作ファンとしては西尾維新の無機質ストーリーと同じような演出をされたのは心外であった、が、それでも、かの演出は当時の主人公の晴信の熱血ぷりへの冷徹さが際立ち良かった」程度の感情しか思い浮かばず自身の感性の貧弱さを改めて悔いる日だった。