2020.04.14 この生活は仙人の暮らしに近いのでないだろうか

就業前に書くと書いてからあっという間に一週間経ってしまった。 電車に乗り手持ち無沙汰になった時間を日記を付けて紛らわしていたから、 家から出ず全ての自分の時間を支配下に置いたいま、 日記を付ける必要が無くなっている。

引っ越してきたばかりの頃は、せっかく東京に来たのに街に出ないのは勿体がないと、 わざわざ用もないのに池袋の街の中をふらついていたものだが、気が付いたら土日も家の中で過ごすことが多くなった。 むしろ土日に一歩も家から出なければ達成感すらあった。 かような出不精な自覚があったから、わざわざ街の中に居を構えて、 ふらっと散歩に出るだけで、世の中の人々の興味がどこへ向かっていっているかを把握できるようにしていたのだ。

全ての業務が遠隔で行うようになったので、 平日に強制されていた通勤という名の外出と、稀に開催されていた気の知れた旧友との宴会が無くなり、 いよいよをもって全ての時間が部屋で一人ということに相成った。

そうして気がつくと2,3週間ほど経っていたが、特別に寂しいだとか誰かに会いたいだとかいう感情は芽生えず、というか、むしろこの生活を気に入ってすらいた。

自分の生活の本質に他人の存在の影が無いということに気づいて、嗚呼いと寂しき人間哉と一瞬は脳裏に浮かんだが、果たしてこういう人間で有りたいと願った若かりし自分を思い出す。 仙人に成りたいとこぼしたミュージシャンに憧れて、どういう人生を送るとそのような思考に至るのだろうと生きてきたが、大学院で研究活動にのめり込んだときに、ついにああこれが仙人に成りたいと思う気持ちだろうという感覚を見つけて、そうして、いま、この生活は仙人の暮らしに近いのでないだろうか。

誰かを想うが誰かには会わず、自己研磨に集中し、丁寧な暮らしを続けている。