2019.03.27 直球コミュニケーションネイティブ

妹の引っ越しの手伝いだと言って親が東京に来ていた。まだ妹の部屋には泊まれないということで私の部屋に泊める。この1年間で作ったアプリだと言って仕事で作ったアプリを見せたが「あんたの作ったアプリ面白くない」と一蹴だった。

会社でそれを先輩社員に言ったら「あんまり普通の家庭では無い」と言われた。うすうす感づいてはいたがやはりそうであったか。親から直球コミュニケーションを受けて育った直球コミュニケーションネイティブなので学校でも会社でも直球コミュニケーションだけど、こんなに直球のコミュニケーションを取る人は少ないのだ。しかし、このコミュニケーションの取り方が色んな仕事の上手くいく一因になっているので、ユニーク性も確保しつつ仕事も上手く回せるなら一石二鳥だ。

今日はやたら調子が良く色んな議論の受け答えがかなりスムーズにできた。直感の印象を伝えつつ、そのように感じた理由を刹那の印象から手繰り寄せて言葉を紡ぐことが以前よりできている。厳密にいえば直感の印象の余韻を頭の中に長く残せるようになってきた。以前は「あ!直感!ん?いま何を感じたのだろう?」と直ぐに溶けて無くなってしまったが、いまの感覚だと「あ!直感!…これは以前も感じたことのある印象だ、あのときかな、このときかな、あああのときだ。ということはこの感覚は怒りだ。」というように感覚の触感を確かめられる。

以前は何も感じなかった分野にも感情を想起できるようにもなってきた。これは脳みそを取り出して砂漠やら草原やらに置いてみるような感覚だった。脳みそはたぶん濡れているので取り出して外に置くと乾くんだけど、そのときの乾き方とか、地面に置いた時に付いたのが砂なのか土なのか、とかを観察している。何を書いているんだ?とにかく色んなことに印象を持てるというのはかなり良い傾向だ。他の人よりも色んなことに気が付くことに他ならないからだ。印象を得られれば意見やアイディアはいくらでも出せる。場がシーンとなるのを防げるようになったのも良い傾向だ。気まずい沈黙が嫌いなので、これを自分から突破できるようになって、少し生きやすくなった。